医薬品マーケティングでは患者数がわからない?

以下のポストで「医薬品のマーケティングにおいて患者数を求めるのは、実は非常に困難なんです。」と記載しました。なんで難しいのか、今日はその説明をします。

マーケティングを行う上で、顧客数を知ることは大変重要なのは言うまでもありません。しかし医薬品マーケティングにおいて、患者数を正確に知ることができない場合があります。

「保険使って処方してもらってるんだし、薬使ってる正確な人数くらい簡単にわかるんでしょ?」
「製薬会社みたいな大企業は金にモノ言わせて、あらゆるデータを買ってるんでしょ?」
「自分とこの薬の売上から患者数ってわかるでしょ?」

そんな声が聞こえてきます。でもそれはちょっと難しいんです。

すべての健康保険組合のデータを一括して集めている機関は無い

健康保険組合数は1,388組合[1]あって、そのすべてのデータを一括して集めている機関はありません。

代表的な健康保険組合データベースに、株式会社JMDCが保有している『JMDC Claims Database』という複数の健康保険組合より寄せられたレセプト(入院、外来、調剤)および健診データを蓄積している疫学レセプトデータベースがあります。このような代表的なデータベースでさえ、1.3億人の日本人口に対して801万⼈[2]のカバーです。

さらにJMDC Claims Databaseは国民健康保険のデータを扱っていないため、国民健康保険に切り替わった定年退職した高齢者のデータをカバーしていません。高齢者ほど薬を飲んでいるのに。

つまりすべての健康保険組合のデータをカバーできていないので、漏れている患者さんがいて正確な患者数がわからないということです。

医療機関からデータを集めたデータベースも限界がある

健康保険データの他に、患者数が多い病院グループが集計しているデータベースや、病院や薬局から処方箋データを集めたデータベース等があります。

特にカバー率が高いのが、IQVIAソリューションズジャパン株式会社が保有するIQVIA NPA dataです。これは調剤薬局が主なデータ提供元になっている処方箋データで、2018年の年間登録者数は約3,200万人[3]です。

こちらは病院や健康保険組合が保有するデータと違って、基本的に処方箋に記載されるデータしか拾えませんが、カバー率が高いことに加えて、年齢に関わらずデータが揃っているのが特徴です。つまり処方された薬の患者数を推計しやすいデータベースです。

但しあくまでカバー率が非常に高く推計しやすいというだけで、正確な患者数が分かるわけではありません。またこのように医療機関から集めたデータを集計しているデータベースは、患者さんが医療機関を変えてしまうと追えなくなるという特徴もあります。

希少疾患で処方される患者さんが少ない、全ての患者さんについて報告を求める「全数把握対象疾患」である等、患者数が正確にわかるケースもありますが、基本的には患者数の把握は困難です。

売上データから正確な患者数が割り出すのは難しい

例えば1日1錠のGA錠という薬が全国で1万錠の売上があったとします。GA錠を服薬した患者数は年間何人だと思いますか?

簡単、簡単。1万錠でしょ?1日1錠だから、1万日分・・・。

1万日分ってなんだ?

そう。「年間で1人の患者が1万日分の薬を飲んだのか、1万人の患者が1日分の薬を飲んだのか分からんじゃないか」となるんです。(1年365日なので1人1万日分ってあり得ませんが)

仮に平均服薬日数が年間50日なら患者数は200人ですし、年間10日なら1000人です。つまり患者数を算出するには『平均服薬日数』が必要なのですが、そんなのわかりません。だから処方箋に書いてあったり書いてなかったりする「〇〇日分」という服薬日数の平均を出して、患者数は次の計算式のように推計します。

1万日分【売上錠数÷1日服薬錠数÷ 平均服薬日数〇〇日

ちなみにこの”1万日分”という数字の単位は『PATDAY(患者人日)』と呼ばれます。PATDAYという単位は超便利なのですが、詳細な説明は改めて記事にします。

もっと言うと売上データはあっても「売り上げた錠数のうち何錠が患者さんに処方されたか」はわかりません。なので「病院の薬剤庫にアホほど在庫されてたりしない?」とか「患者さんはちゃんと1日1錠守ってる?」とか「症状によって1日に服薬する錠数変わるんやけど・・・」というように、その他の調べるのが難しい要因のせいで、正確な患者数の計算は更に混迷を極めます。

近い将来、正確な患者数を把握できるようになる可能性がある

次世代医療基盤法という法律が平成29年5月に公布、平成30年5月に施行されました。これにより患者さんが通院する医療機関を変えても、定年退職して健康保険組合が変わっても、治療の履歴を完全に追えるようになる可能性があります。もちろん匿名化された情報です。

完全に追えるということは、正確な患者数が分かることに繋がります。その理由を含め、次世代医療基盤法により何が実現できるかといった、詳しい話は別の機会にします。

まとめると、今は全ての患者さんをカバーした健康保険組合・医療機関・処方箋のデータは存在せず、売上データだけでは正確な患者数を算出できないため、推計患者数(売上錠数 ÷ 1日服薬錠数 ÷ 平均服薬日数)を使ってマーケティングを行う必要があります。

ただし新しい法律によって、正確な患者数がわかるようになる可能性があります。それだけではなくペイシェントジャーニーが正確なデータに基づいたものになったり、新たに長期の有効性/安全性が明らかになったりと、よりマーケティングが高度化するのかもしれません。

[1] 平成31年度健保組合予算早期集計結果の概要 (Report). 健康保険組合連合会. (2019-04-22).
[2] JMDC 2020年3⽉期 第3四半期 決算補⾜説明資料
[3] 日本で薬剤疫学研究に利用可能なデータベース – 日本薬剤疫学会